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子どもの未来のために、何度でも頭を下げる理由

「うちの園は民間の支援はダメなんです」—そう言われた時、あなたならどうするだろう。制度の壁、誰かが決めたルール、そして母親の静かな諦め。その全てが重なり合う場所で、私は一つの問いに立ち返った。誰のための支援なのか。何のための制度なのか。そして、この子が本当に必要としているのは何なのか。

子どもたちの支援に関わる仕事をしていると、時々、思いがけない壁に出会う。

今回の事例も、まさにそうだった。ある保護者の方から、私たちの訪問支援を利用したいという相談をいただいた。理由を聞いてみると、以前は市が運営する訪問支援を利用していたけれど、うまく機能していないと感じていたという。その子が通っているのも市が運営する保育園で、訪問支援も市のもの。同じ組織の中で支援が回っているはずなのに、何かが噛み合っていなかった。

保護者の方は、変えたいと思った。でも、そこで初めて知ったのだ。「市の訪問支援なら良いけれど、民間の訪問支援はダメ」という、見えないルールの存在を。

「民間もあるんですね」「使っちゃいけないんですか」—そんな言葉の端々に、母親の戸惑いと、諦めかけた希望が滲んでいた。彼女は本当に悩んでいた。どうしても、子どものために最善の環境を整えたい。でも、何が許されて、何が許されないのかさえ、わからなかった。

私はそこで、自分が最も大切にしている軸に立ち返った。

保護者の希望を尊重すること。そして、子どもが決まり感に縛られず、生き生きと過ごせる環境をつくること。

その目的のために、私は動くと決めた。

まず、市の訪問支援の担当者に会いに行った。保育園にも足を運んだ。発達支援センターにも説明に行った。「民間はダメ」という言葉の根拠を、一つ一つ確認していった。そして気づいたのは、明確に「ダメ」という決まりがあったわけではない、ということだった。

ただ、知らなかっただけなのだ。

市の制度には、こういう選択肢がある。民間にも、こういう支援の形がある。それを知らないまま、なんとなく「市のもの以外は使えない」という認識が広がっていた。情報が届いていなかった。誰も説明していなかった。それだけのことだった。

でも、「知らない」ことは、時として最も強固な壁になる。

私は何度も頭を下げた。いろんな人に説明をして、理解を求めた。保護者の方には「大丈夫です。任せてください」と伝えたけれど、正直、すぐに道が開けるとは思っていなかった。それでも、諦めなかった。

そして、7月。ついに、許可が下りた。

市の保育課、保育園、発達センター、以前訪問支援を担当していた方、そして私たち民間の事業所。関わる全員が集まり、情報を共有し、引き継ぎを行った。今、支援は動き出している。来週には、実際に子どものもとへ訪問できるはずだ。

この経験を通して、私は改めて感じた。**子どもと保護者の願いを主軸に置き続けること。そのために、悩みながら、頭を使いながら、時には頭を下げながら、動き続けること。**それが、私たちの仕事の核心なのだと。

制度は完璧ではない。組織の壁もある。でも、その向こう側に、本当に必要とされている支援がある。そこへ辿り着くために、私たちは何度でも動く。

今日も、誰かの「ダメです」の向こう側へ。

 
 
 

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