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「なぜ?」がすべて「なに?」になってしまう君へ

ある日突然、世界がクリアに見える瞬間があります。これまでバラバラだった点と点が一本の線で結ばれ、靄のかかっていた風景がくっきりと輪郭を現すような、そんな瞬間です。それは多くの場合、頭の中だけで考えている時ではなく、私たちの身体が、感覚が、世界と直接触れ合ったときに訪れます。これは、言葉の壁に悩んでいたある子と私たちが、一緒にその瞬間を見つけにいった物語です。


「Where(どこ)、Who(だれ)、What(なに)、Why(なぜ)、How(どうやって)。全部同じに聞こえて、すべて『What』になってしまうんです。もうすぐテストなのに、どうしたらいいでしょう?」

先日、私たちはそんな切実な相談を受けました。学校で習う「5W1H」は、情報を整理し、世界を理解するための基本的なツールです。しかし、その子にとっては、一つ一つの言葉が持つ固有の意味の境界線が溶け合い、すべてが「What(なに)」という大きな塊になってしまっていました。

紙の上で何度説明しても、その違いはなかなか伝わりません。そこで私たちは、アプローチを根本から変えることにしました。机の上で考えるのをやめて、「体験」を通して学ぶことにしたのです。

まず、「Where(どこ)」を理解するために、私たちは一緒に「何かを探す」という行動をとりました。「どこにあるかな?」と声をかけながら、実際に部屋の中を歩き回り、隠されたものを見つける。あるいは、「どこかに行く」という目的を持って、建物の外へ出てみる。この具体的な行動を通して、「Where」という言葉が「場所」や「位置」を問うための言葉なのだという感覚を、身体に染み込ませていきました。

これは、「Where」に限ったことではありません。「Why(なぜ)」であれば、何かが起きた原因を一緒にたどり、「How(どうやって)」であれば、ある目的地にたどり着くための手順を一つひとつ試してみる。そうやって、一つひとつの疑問詞を、具体的な行動や思考と結びつけていく作業を、私たちは根気強く繰り返しました。

するとある時、その子の顔に「はっ」とした表情が浮かびました。これまで混沌としていた言葉の海に、意味の道筋が生まれた瞬間でした。バラバラだったピースが組み合わさり、一つの絵が完成したかのような、静かな、しかし確かなブレークスルーでした。

数日後に行われたテストで、その子はなんと満点を取ったと報告してくれました。

この出来事は、私たちに改めて大切なことを教えてくれます。特に発達に特性を持つ子どもたちの中には、抽象的な概念を頭の中だけで理解するのが難しい子が少なくありません。しかし、それは能力の欠如ではなく、学び方の違いに過ぎないのです。

ペーパーテストで測れる能力だけがすべてではありません。むしろ、身体を使って体験し、五感で感じ、行動と思考と意味を自分の内側で結びつけていくこと。そうした生きた学びの中にこそ、人の深い理解は根付いていくのではないでしょうか。

私たちはこれからも、一人ひとりに合った「わかる」ための方法を探し、言葉が持つ本来の意味と豊かさを、体験を通してインプットできるようなトレーニングを続けていきます。もしあなたが、あるいはあなたの周りの誰かが同じような壁にぶつかっているのなら、いつでもご相談ください。机の上から一歩踏み出すことで、世界はまったく違う顔を見せてくれるはずです。

 
 
 

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