ラフダイで起きた、小さな奇跡
シャッターが、ガシャンと音を立てて閉まる瞬間があります。それは比喩ではなく、心の中で実際に起きる出来事です。昨日まで当たり前だった世界が、突然、分厚い壁の向こう側へと消えてしまう。私たちを支えていたはずのプライドや確信が崩れ去り、その下にある、傷つきやすく震える真実が姿を現します。その壁を無理やりこじ開けようとすれば、亀裂は深まるばかり。では、どうすれば光は再び差し込むのでしょうか。その答えは、予期せぬ場所で見つかることがあります。例えば、家電量販店の、おもちゃ売り場で。
私たちのところには、社会が「問題」と名付けるようになった、さまざまな物語が寄せられます。その中でも特に増えているのが、学校へ行けなくなった子どもたちの話です。今回は、その初期の事例を一つ、分かち合いたいと思います。
その子は、小学1年生の頃は元気に学校へ通っていました。2年生になっても、それは変わりませんでした。しかし、ある日、ある出来事が起こります。まだ心の準備が整っていないのに、無理やり教室に入れられそうになったのです。その瞬間、彼の心の中で何かが切れ、シャッターが固く閉ざされてしまいました。次の日から、彼は学校へ行けなくなりました。
相談を受けたとき、彼は家から一歩も出られない状態になっていました。学校はもちろん、私たちが運営する施設にさえ通えない。顔はこわばり、世界から切り離されたように小さな部屋に閉じこもっていました。どうしたらいいでしょう、と途方に暮れるお母様からの、切実な声でした。
私たちはまず、彼の世界を丁寧にヒアリングすることから始めました。まったく家から出られないのですか?と尋ねると、一つだけ例外があることがわかりました。「コジマ電気にだけは行けるんです」と。そこだけが、彼にとって唯一、外の世界と繋がれる場所でした。
そこで、私たちはある作戦を提案しました。「お母さん、コジマ電気で“偶然ばったり会っちゃった”作戦、どうでしょう?」。それは、無理やりではなく、偶然を計画的に演出することでした。
作戦決行の日。私たちはコジマ電気のおもちゃ売り場へ向かいました。彼が遊んでいるところに、私がふらりと現れる。「あれ?」と彼は私に気づき、驚いた顔をしました。普段、決まった場所で会うはずの先生が、思いがけない場所にいるのですから。しかし、それは「通わされている」状況ではありません。あくまで「たまたま会った」だけ。その偶然が、彼の心のストレスをすっと取り除いてくれました。
少し話をして、「今度、一緒に遊ぼうよ」と誘ってみました。「明日、公園でラジコンやらない?」。彼は「いいよ」と頷いてくれました。次の日、私たちは公園で一緒にラジコンを走らせました。この「偶然の出会い」から始まった小さなステップを繰り返すうちに、彼の心は少しずつ外の世界へと開かれていきました。他人と関わることへのハードルが、ゆっくりと下がっていったのです。
やがて彼は、私たちの事業所にだけは来れるようになりました。そして今では、他の場所にも少しずつ足を運べるようになり、「学校」という言葉に対する拒否反応も和らいできています。
大切なのは、無理やりやらせることではありません。その子の気持ちが自然と前を向き、心が回復していくための時間と環境を整えることです。固く閉ざされたシャッターは、力ずくでは開きません。しかし、計画された「偶然」という名のささやかな光が、鍵穴から差し込むことで、内側からそっと扉が開かれることがあるのです。

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